7、住前職後
大崎庄右ェ門の家の横幅は、そんなに広くはない。
これはその昔、家の間口によって課税されていた為、できる限り間口を狭く取り奥に長く敷地を取っていた事がその理由らしいのだが、しかしそれにしても庄右ェ門の屋敷は異様に長い。
それをご主人は「うなぎの寝床ですよ」と笑うが、いやはや本当に長い。
これは「うなぎの寝床」ではなく「大蛇の寝床」としか言いようがない。
その長い屋敷の長い廊下の中ほどに大崎庄右ェ門の事務室兼茶の間がある。
ここを毎朝、職人さんらが「おはようごじす」と挨拶しながら通り仕事場に向かうのだ。
先代の頃は入口に近い部屋が親方達の生活空間だったのだが、そこから仕事場まで50m近くあるので女将の強い要望から、現在の場所に移動したとの事でした。
まぁ考えてみればそりゃそうだ。職人さんに伝言しようにも50mも歩くんじゃ考えてしまいますよね。
女将さん曰く「昔は弟子の方や使用人が沢山いたからそんな悠長な事が出来たんですよ」と苦笑する。ただでさえ一人何役もこなさなければいけない身ですので。
と言いつつも実は現在元の姿に戻そうかどうか親方夫婦は悩んでいる様子。「やっちゃえ!!」と無責任発言をしたいところなのだがここは我慢我慢。
言ってみれば「関所」のように親方の住まいを通らない事には工場の中には入れないシステムを「住前職後」と御夫妻は伝え続けているのです。そして何とも静かなコミュニケーションの空間がそこには今なお存在しているのです。